舌をかむような話

第1話 留吉、コリ庵先生を訪ねる

大家さん 大家:留吉じゃないか。

留吉留吉:あっ旦那。毎日雪ばかり見ていてもしょうがないんで、市場に行って来たんですよ。そしたら鉢に入った花がいっぱいあってね。天国にでも行ったような気分になりましたよ。

大家:それにしては、浮かない顔をしてるな。

留吉:それなんですよ。あんまりきれいなもんだから、名前でも覚えて女房に教えてやろうと思ったんですがね。舌を噛みそうなややこしいカタカナなんで・・・。いけねぇ、旦那と話しているうちに忘れちまった。

大家:最近は、わけのわからない名前の花が増えてきたからな。

留吉:どうしてわかりやすい名前にしてくれないんだ。

大家:確かにそうだな。しかし形あるものには必ず名前があるし、なければ困るな。

留吉:「名無しのごんべい」じゃねぇ。

大家:花もそうだが生き物にあって、ほかのものにはない名前があるそうだ。おそらくおまえの見てきた名前がそれだな。

留吉:なんですか、その名前って。

大家:学名というシロものだそうだ。私にもよくわからないから、コリ庵先生に聞いてくるかね。

留吉:乗りかけた船だ。そうしましょうや。

大家:・・・というわけなんです。先生。

コリ庵先生先生:うむ、どこから手を着けたらよいものか。まずはこの表を見なさい。グローバルに考えることだ。

  植物の一例 物品の一例  
日本語で ハマナス (手紙) 和名といいます
英語で Ramanas Rose (letter) 英名といいます
ラテン語で Rosa rugosa ・・・ 学名といいます

留吉:ぐろーばる?私は苦労ばかり。

大家:これ留吉。くだらんシャレを言っている場合じゃないだろう。

先生:世界には英語と日本語だけあるんじゃない。そこで万国共通の名前があればもっと便利だ。それが表の3段目に書いた学名(ラテン語)というものなのだ。

留吉:じゃ、どうしてラテン語なんだ。「手紙」にはなぜ学名ってのがないんだ。

先生:なかなかいい質問だね。実は現在、ラテン語を使っている国はないんだよ。

大家:えっ。それじゃどうしてこれを。

先生:古い話だが、今から1400年ほど前、ローマ帝国の崩壊とともに使われなくなって、いわば死語になっている。だからもう時代とともに用語や文法が変化することもないこともあって、これを採用したそうだ。

留吉:いったい学名とやらに、どんないいことがあるんですか。

先生:植物もそうだが時代とともに進化してきて、様々な種類の生物がこの地球上に存在する。進化の過程でお互い近い種類もあれば、そうでないものもあり、体の構造や働きなどを調べて分類しておくと、何かと便利だし、筋道を立ててものが言いやすくなるんだ。ところで先ほどの「手紙」にはそうした必要ないから無いということなんだ。

大家:学者先生には便利だろうが、私たち庶民には何かいいことでも。

先生:一概には言えないにしても、同じグループに属している植物は、近い性質を持っていることが多いので、寒さの厳しいところで育つか、水やりはどうしたらよいか、虫が付きやすいのかを調べるのに、ずいぶん役に立つと思うよ。

先生:もうひとつわかりやすい話をしよう。

留吉:待ってました!

先生:歌にもうたわれたニセアカシア。白い花が美しく北海道の風物詩だね。

留吉:とげがあって嫌われていますがね。職人泣かせの木だ。花の香りもいいが天ぷらにしたらうまい。

大家:相変わらず、食い意地の張ってる奴だ。

先生:当然、アカシアという木もある。こちらは黄色い花で、寒さには全くだめなんだ。そもそも所属するグループが違う。

留吉:なんだアカシアというのは間違いか。それにしても偽物扱いされたんじゃたまらないねぇ。

大家:偽物じゃなくて「似ている」のニセらしいんだが・・・。

先生:日本語の呼び名(和名)に問題がありそうだ。姿や花が似ているからと言って、全く違う種類にもかかわらず「ニセ〜」「イヌ〜」「〜モドキ」としたものが結構あるんだ。命名した先人たちを恨みたくなるね。紛らわしい呼び名で誤解を生まないためにも、系統だてて命名した学名が便利なことがわかったかな。

留吉:学名で覚えておくと、外人さんと話すときに便利だねぇ。

大家:その外人さんは、学名を知っているのかな。

先生:残念ながらそうでもない。日本人と同じくご当地の呼び名を使っているんじゃないかな。ただし、園芸の本、カタログ、植物園のラベルなどの多くは、この学名を使っている。日本でも植物園は勿論、最近の園芸本も和名と一緒に書かれている。

大家:知っていて損はなさそうだ。

留吉:でも難しいんだろうな。英語は全くだめだし、おれはローマ字がやっとだから。

先生:それでいいんだ。読むだけなら下手に英語を知らない方が間違いが少ない。ラテン語の読み方はまさに日本人のローマ字読みに近い

留吉:えっ!ほんとですか。何となくやる気が出てきたぞ。

先生:少しだけ例外があるが、わかりやすいから安心しなさい。

大家:よかったな留吉。明日また先生に教えてもらおう。

(2002年掲載)