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ハスカップのつぶやき

 植物は私たちと異なり、自力で移動することは出来ませんから、種子や胞子、花粉を自然の力やそこを通過する動物を介して子孫の生存エリアを拡げていきます。したがって気の遠くなるような長い年月をかけて、自分の生存に適した一定の地域に分布することになります。なんだあたりまえじゃないかと言われるかもしれません。しかし必ずしもそうでない場合があるようです。

 ある植物にとって住み易いところは、他の生育旺盛な植物にとっても都合がよいはずです。したがって自然淘汰という作用が働き、弱い方は絶えてしまうでしょう。また、本来自分たちしかいなかった楽園に、あるとき他から強い侵入者(植物、動物)があると生存競争に負けて同じように絶えてしまいます。たまたま自分にとって住み易いところではないが、何とか生きることが出来る場所があったとします。そこには憎むべき強い競争相手もいません。決して華やかではありませんが子孫達は生き延びていくでしょう。

 もう一つの場合ですが、今住んでいるところがそこそこ自分に適していたとします。本当はまだ住み易く、他との競争にも耐えることが出来る場所があるのかもしれません。しかしその途中には厳しい環境の地域が広がっていて、すばらしい楽園に到達できないでいるのかもしれません。私たちの人生にもこれと似たようなことがありそうです。

 道内でブーム呼んだハスカップという潅木があります。6月に濃紫色の小さな実をつけ、古くからアイヌのひとびとが、心臓の薬などに利用していたそうです。最近では一村一品運動の一環として、いくつかの市町村や製菓会社がジャム、シロップ、ジュース、染料などをつくっています。このハスカップは勇払の原野に自生していています。原野の湿地帯とはいえ、自生しているところを良く調べてみると、周囲よりやや小高いところに良く分布していることに気づきました。こうした場所では一般的な樹木、草は育だちづらいのです。たまたまハスカップはこうした悪条件に耐えることが出来たのでしょう。実生や挿し木でこれを生産するにあたり、自生地の環境からして水分の多いところでないとだめではという人もいましたが、普通の畑で育てた方が良く育ち、豊かに実ったのです。「二度と生まれ故郷には戻りたくない。」苗木たちはそうつぶやいているのかもしれません。(1995年春)

有限会社 川原花木園